シングルマザー
女の半生・・・シングルマザー生活便利帳(2016→2017) [ 新川てるえ ]
高校2年で出産をした女性の歩んできた道です。
厳しい生活ですね。彼女に希望溢れる未来はあるのでしょうか・・・


シングルマザー、家を買う [ 吉田可奈 ]

貧乏・生活苦ランキング ←あまりの貧困に、切なすぎて泣ける

 今回紹介するのは、千葉県木更津市に住むシングルマザー30歳。彼女は、なぜ貧困に苦しむようになったのか。

 千葉県木更津。房総半島の中部にあり、東京湾アクアラインやドラマ「木更津キャッツアイ」で有名になった地方都市だ。移動する人がいるはずの平日夜7時に内房線木更津駅前に着くと、街は驚くほど閑散としていた。人はまばらでパチンコ店はシャッターが降り、数軒の飲食店にはほとんど客はいない。駅前は薄暗く、駐車場や更地ばかり、木更津駅前は知名度からは懸け離れた過疎化が進んでいた。

 「完全に寂れています。この10年でガラリと変わってしまいました。ずっと駅周辺は市の中心だったけど、アクアラインをきっかけにショッピングモールとかアウトレットができて、駅前から郊外に人が流れた。ファストフード店とか商店はどんどん潰れて、この状態。もうダメでしょうね。たくさんの地元の人間が仕事を失ったし、私も両親もずっと貧困みたいな状態です」

 佐々木優香さん(30歳、仮名)は木更津で生まれ育った地元のシングルマザーだ。木更津駅徒歩圏の小さなアパートに2人の子どもと暮らし、福祉用具専門員として高齢者向けの福祉用具レンタル販売会社に勤める。実家は地元で商売をしていたが、商店街の衰退によって廃業。現在、両親はパートで生計を立てている。

 木更津は1997年に川崎―木更津間の東京湾アクアラインが開通。2000年、大規模小売店法が改正されて、企業による開発の格好のターゲットになった。アクアライン以前は値段がつかなかったような郊外の過疎地が買い占められて、大規模ショッピングモールが続々とオープンした。そして、活発に商業活動が行われていた駅周辺や地元商店街は壊滅状態となった。
社員だが、基本給は15万4000円

 木更津市の平均所得は322万円2835円(2013年総務省土地統計調査より年収を算出)。たった40キロほどしか離れていない東京都の平均年収632万5400円(2015年賃金構造基本統計調査)と比べると、極端に低い。大規模小売店法改正によって地域経済が縮小し、大企業におカネが流れている状態といえる。

 地元の福祉用具レンタル販売会社社員である佐々木さんの給与も安い。基本給15万4000円に職能手当1万円、固定残業手当5000円がついて月給16万9000円。社会保険が引かれた手取り支給額は14万4677円。児童扶養手当4万7000円、児童手当2万円をもらって、親子3人でなんとか生活している。

 「家賃5万円で光熱費と携帯代、学校の給食費とか生命保険を払って食費を使えばほとんど残りません。子どもは野球をやっているけど、急な出費5000円とか6000円を用意するのが難しかったり、来年進学の中学校の制服はどうしようとか。子どもはシニアで野球をやりたいって言っていて、今のギリギリの経済状態では難しい。このままでは子どもの夢も潰れちゃう。いけないと思って、先月社長に給料を上げて欲しいと直訴しました」

 佐々木さんは勤続3年目。千葉県の最低賃金は時給842円であり、15万4000円の基本給は最低賃金に近い金額だ。福祉用具事業は都道府県から認可されて営業する介護保険事業で、社会保障費の縮小の流れで事業者が手にする報酬は減り続けている。事業所の報酬減は人件費の圧縮に直結する。介護関係職は最低賃金に張りついた給与で働かせる、という意識が根付いている。


 「会社は居宅介護支援事業所と福祉用具をやっていて、福祉用具は私ひとりでやっています。営業、相談、納品、介護保険請求の全部です。3年前に福祉用具の仕事を始めてから必死で勉強して、器具の解体組み立てとかもして専門性は身に付けました。頑張ったのはやはり学歴もないし、子どもと自分のためになんとか手に職をつけようって意識。でもどれだけ頑張っても、ちゃんとおカネがもらえない」

 経営者への給与アップの要望は、はぐらかされて終わっている。詳しく話を聞いてみると、やはり彼女が勤務するのは介護保険の不正請求が常態化している悪質な事業所だった。

 福祉用具貸与・特定福祉用具販売事業は、介護保険法によって人員基準が定められている。常勤換算で福祉用具専門相談員は2人以上の設置が必要だが、佐々木さんの勤める事業所は名義貸しで架空の管理者兼福祉用具専門相談員を置き、最低賃金に張りついた低賃金の佐々木さんひとりに運営させるという状態だった。千葉県や木更津市に虚偽の申請をして、介護保険を不正請求するという手口だ。

雇用契約書、出勤簿、給与明細を偽造

 「介護保険法で福祉用具専門員は常勤2人以上って決まっている。けど行政の実地調査は報告がないかぎり、定期的に回ってくるだけ。必ず事務所に連絡をして日にちを決めて調査に来るので、そのときだけ介護保険法に則した書類をそろえる。ひとりしか働いていないのに2人以上で運営しているという書類を膨大に作成して、不正を隠すんです。普通に文書偽造。すべて社長の指示でやっています」

 行政の実地調査までに偽造の雇用契約書、出勤簿、給与明細などを準備して人員がそろっているように見繕う。この不正請求は、全国の多くの介護保険事業所で常態化している。

 「うちは200人近く利用者を抱えています。最低でも2人、普通は3人くらいで回す人数です。月に200人の利用者を回れるかと言えば、不可能だし、ひとりだとどんなに頑張っても半年ぐらいはかかる。モニタリングをしたくても、激務でまったくできない状態」

 佐々木さんは、ただ働いているわけではない。資格を取得して、さらに専門性を身に付けて多くの高齢者や家族に信頼され、売り上げを上げても貧困ギリギリの生活から抜け出せないのだ。

 「低賃金だけど、高齢者や介護にかかわる仕事は本当に好き。好きな分野なので勉強するのも苦じゃなくて、日々の生活と子どもの将来のこともあるし、とにかく専門性を付けないと、って頑張りました。時間を見つけては、いろんなとこに出掛けた。介護ベットひとつにしても、さまざまなメーカーがある。展示会だったり、研修会だったり、福祉用具についてはかなり勉強しました。利用者それぞれの状態も、体型も違う。専門性がないととてもできない仕事です」

 介護は低賃金の代表的な職種だが、賃金よりもやりがいを求めて働く職員が多い。2000年から始まった介護保険制度によって民間に開かれて、介護事業に続々と一般企業が参入している。営利法人の経営者たちは働く従業員に甘え、職員たちの前向きな心を利用し、限界まで搾取やブラック労働をさせて利益を貪るような事業所が後を絶たない。賃金に合わない責任と結果を求められる佐々木さんのケースは、ワンマン経営の小規模の介護事業所によく見られる現象だ。

 「私、今まで本当に福祉用具の仕事を頑張ってきたけど、もうどうしていいかわからないです」

 国による社会保障費の削減、職員の前向きな心を利用する経営者によるダブルの搾取の弊害は厳しい。賃金をつねに盗まれているようなものだ。佐々木さんは売り上げという結果を出しても、何も変わらない現状に頭を抱えているが、経営者が正当な賃金を払うつもりがないのならば、逃げるしかない。

高校2年
高校2年生で妊娠、出産

 30歳、子どもは12歳と9歳。佐々木さんは高校2年生のとき、妊娠をした。相手は中卒で建設会社に就職して働く、同じ地元の先輩。悩みに悩んだが、高校中退してできちゃった結婚をした。

 「そのときは自分がいちばんピークに楽しかった時期、学校をさぼったりしながら遊ぶ時間、友達との時間、それでアルバイトでおカネはそこそこ持っていて、さらに楽しかった。周りに子どもを産んだ子はいなくて、正直、産む気なかった。子どもを産むことがどういうことだかイメージできなかったし、自分が母親なんて、絶対無理だって。結局、旦那から産んでほしいと説得されて、渋々決断したのが正直なところです」

 結婚出産して一家は、佐々木さんの実家で暮らした。実家で母親と子育てをし、旦那の18万円程度の手取り給与で生活した。旦那は子育てには積極的で、問題のない平穏な生活が続いた。

 「2人目が産まれた年に旦那はもっと収入を増やすって、転職した。そこからおかしくなりました。地元にある大手製鉄会社の工場で24時間稼働している交代制の仕事に就いて、おかしくなった。工場では24時間鉄骨を作っているんですよ。収入は手取り30万円くらいになって、そこそこ余裕が出てきた。旦那は自分のお小遣いを持ち始めて、ギャンブルを覚えちゃった」

 ひとつ年上の旦那は、当時21歳。地元や工場の仲間たちと競馬、麻雀、パチンコ、スロットにおぼれた。遊び盛りの18歳で父親になってまじめに頑張ったが、子どもと家族のためだけに生きるのは3年が限界だった。

 「工場はローテーション。時間が空いたり、夜勤明けがあったり。ちょっとだけ眠って昼間からパチンコ、スロットに出掛けた。人とのおカネの貸し借りが始まって、結局、自分の持つおカネ以上を賭けるようになって、最終的には会社から前借りや消費者金融、私名義でも勝手に借りるみたいな状態になった。お給料も手取り30万円あったのが15万円くらいまで減って、それでもギャンブルやめなくて生活ができなくなった」

 ケンカが絶えなくなって、旦那は酒を飲んで暴れるようになった。給与も少なくなって小遣いを渡せなくなり、旦那は借金でギャンブルをした。

 「ケンカして暴れてを繰り返して、最終的にはDV。最後、大暴れされたときに骨を折られた。木更津駅の階段でボカスカ蹴られて、下まで転げ落ちた。私が転がって起き上がろうとしたとき、手をつかまれて指を折られた。手をつかまれて、そのままポキンと」

 彼女の右手の人差し指は、現在も少し曲がっている。

 「それが最終的に離婚したきっかけ。殺されると思った。後から信じられないくらい痛くなった。病院に行ったら関節が粉砕されて緊急手術だって。指も曲がらないし、握力もなくて、パソコンは打てないし、はし、鉛筆なんかも持てない。それが7年前。指はまだ、痛い。冬とか、寒い時期になると、ギンギンするから」

元旦那の借金返済のため、ダブルワーク

 指を折られて、離婚を即決した。旦那を実家から追い出して、昼間はスーパーマーケット、夜はスナックのダブルワークをした。暴力におびえて暮らすより、自分が大変になってもシングルマザーとして生きるほうがマシだと思った。

 「学歴がないので、昼間は最低賃金みたいな仕事しかないです。だからもう長時間働くしかない。スーパーは朝9時から夕方6時まで、それが終わったら夜7時半からスナック。帰りは2時とか3時。旦那が私名義の借金260万円くらいを残して、それを返さなきゃならなくて。ダブルワークしか手段がなかった。法テラスに相談したけど、結局、自己管理責任ということで全部払えってなったから」

 朝から晩まで働いて、子どもは実家に預けっぱなし。朝から晩まで働いても20万円に届かない。生活費と260万円の借金を返すために働き続け、借金完済に3年半がかかった。

 「私が働くことで、子どもがおかしくなった。まず、夜泣き。2人とも。あと、おねしょ。それまでもあったけど多くなって、ちょっと異変を感じたんですね。母親にも“ちょっと変よ”って言われて、やっぱり母親が毎日一緒にいるからよくわかる。朝、仕事に行くときに娘が“仕事行かないでぇ”ってワンワン泣きじゃくって、泣き顔と絶叫みたいな声が頭から離れなくて。私が一緒にいる時間が少ないことが原因でした。すごくまずいと思った。それでなんとか借金を完済して夜のスナックを辞めて、介護施設の日勤のダブルワークをすることにした」

 実家も廃業するほど経済的に追い詰められていた。もう、これ以上は甘えられないと思った。4年前、介護に転職してから現在のアパートに引っ越している。佐々木さんは介護の仕事に出合って、この仕事を自分のものにしようと思った。介護職のダブルワークを1年続け、3年前に正社員の雇用で現在の福祉用具レンタル販売の会社に就職する。

 「生活が本格的に苦しくなったのは、実家を出て介護の仕事を始めてから。介護はこれから必要な仕事だし、自分の好きな仕事だし、頑張れば何とかなるってがむしゃらにやった。でも、いくら頑張ってもすごく貧乏で、何かおかしいんじゃないかみたいなことを思ったこともあったけど、私は学歴ないし、なんの能力もないから頑張るしかなかった。とにかく必死で働いたけど、子どもに好きなことをやらせることもできない、この状態です。情けないです」

過剰な人手不足なのに賃金は上がらない

 介護事業所は、介護保険制度からの介護報酬で運営する。介護職、福祉関係職の低賃金は社会問題になり、過剰な人手不足だ。しかし、介護報酬は需要と供給に関係なく国が決めるので、どんな人手不足に陥っても、介護職の賃金は上昇することはない。典型的な官製貧困といえる。

 さらに、ブラック労働を強いて、公金を不正受給する介護事業所が後を絶たない。低賃金の職種に就き、さらに会社から搾取される佐々木さんが貧困から抜け出すことは、今のままでは難しい。

 「頑張って専門性を付けたし、売り上げは上がっているし、社長には子ども2人と普通に生活するために手取り20万円は欲しい、そう言った。まだ明確な返事はもらってないけど、ダメでしょうね。最低賃金で働く人がいくらでもいると思っているし。長男は来年中学生、自分の好きな介護を続けたいなんてわがままを言えませんね」

 ハローワークや求人情報を眺めても、シングルマザーが普通の生活を送れるような賃金の求人はない。頑張った4年間の介護の経験と、信頼されている利用者を捨て、元旦那が働いていた海沿いにある鉄筋工場に転職しようか迷っている。
https://goo.gl/i46wyE(情報源)

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