
家族はドラマのようにはいきません。もっとドロドロしています。
80代の親が50代のひきこもりのわが子を養う、8050問題。
親が高齢となり、子も中高年に達したので深刻な社会問題となっていますね。
ひきこもりの子に金銭的支援を続けても、自ずと限界があります。
社会の中で自立するのはとっても難しいことですが、
最後は個人各々の責任なのだと思います。
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65坪の敷地に約40坪の建物と、庭も十分に広い。ここで専業主婦の妻、15歳の長男、13歳の長女、9歳の次女の一家5人が「理想の暮らし」を始めたのだ。
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2013年から、一家の次女(52)が一人で占拠していたその家は、たった5年間で夥(おびただ)しいごみ屋敷となり、ごみが運び出された後であっても、吐き気がこみ上げる空間と化していた。
次女は20代後半から自宅にひきこもり、母(91)と姉(56)に暴力をふるうため、2人は03年にアパートに移り、10年後、父親も次女との生活から逃げ出し、今は3人で3DKのマンションで暮らしている。
高度経済成長期とバブル期をエリートサラリーマンとして駆け抜けた父親は、家や子どものことは専業主婦である妻に任せ、接待飲食やゴルフ、旅行などに明け暮れてきた。早朝に家を出て帰宅は深夜という、当時の父たちに共通する典型的な“モーレツ社員”。しかも、年収1500万円という高所得者だ。
教育熱心な妻は女も手に職を持つべきだという考えで、音楽で身を立てさせようと、2人の姉妹に幼い頃から楽器を習わせた。マイホームに「音楽室」を作ったのは、妻の強い意向だ。
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長女は挫折し、それが原因でうつ病を患った。一方、次女は音楽講師の資格を得て、全国に教室を持つ会社に就職し、教室を任されたものの、独善的な指導法で生徒が離れ、会社ともめて20代後半に辞職。以降、社会との接点を一切、断った。
次女について、父親が外部に助けを求めたのは、それから20年後のこと。妻の介護を担う「地域包括支援センター」の保健師のアドバイスで、生活困窮者自立支援事業の窓口に駆け込んだ。
「妻にがんが見つかり、長女の治療費もかかり、株を売り、退職金でしのいできましたが、お金が底をつきました。年金だけでは、暮らしようがない」
次女を家から出し、家を売って当座の金を作るのが、一家が生き延びる唯一の道だった。
きらびやかな装いで相談室に現れる次女は、支援員に訴えた。
「私が働けないのは、家族のせいなんです。だから私は働かなくてもよくて、家族が私を食べさせるのは当然のことなんです。私の20年を返してほしい」
次女は父親に、月5万円の仕送りを要求し、食事は父親名義の携帯でケータリングを取り、父親が代金を支払っていた。
父親は、家族が次女にいかに苦しめられてきたかを訴える。
「母や姉に暴力をふるう。怒って興奮すると一晩中でも怒鳴り散らす。だから、2人を逃がしたんです。僕は次女と暮らしていましたが、台所も風呂も使わせてもらえず、一晩中説教される生活に耐えきれず、家を出ました。家賃だけで、退職金の1千万円を使い果たしました」
父と娘──両者の言い分は一切、交わらない。
「私は親の決めたことをやらされ、振り回されてきたんです。父に道を押し付けられてきた。こうなったのは、親のせいです」
モーレツ社員で“イケイケ”だった父親は家庭の中で、強い父=専制君主だったのではないか。だから次女もピアノ教室で専制君主のように振る舞った。それがこの家の「文化」だった。強さに立ち向かえなかった姉が心を病んだのも合わせ鏡だ。
17年12月末、次女は支援員の説得で家を出た。アパートは既に確保してあり、生活保護を受給して暮らすのだ。次女が去った家には、ケータリングの残骸が足の踏み場がないほど、うずたかく積み上がっていた。
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