最底辺の・・・49歳 准看護師
どん底から抜け出せない49歳准看護師。
東京郊外で一人暮らしをしており、
今まで、いじめで20回以上も転職を繰り返してきました。
彼女は貧困だけでなく、ずっと孤独な生活を送ってきています。
せめて人並みな生活が、できるようになればいいのですが・・・


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今回紹介するのは、「私は、地方出身者です。結婚しないため訳あり呼ばわりされ、関東の都市部に出てきました。はじめは仕事がありましたが、年齢、資格、病気などで、仕事もなくなってきました」と編集部にメールをくれた49歳の独身女性だ。

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◆ブラックな職場でも勤めるしかない

「何もかもうまくいかないです。どん底から抜けだせません」



甲斐道子さん(仮名、49歳)は、東京郊外で一人暮らしだ。自宅近くのファミレスで待ち合わせ、どんよりとした陰鬱な雰囲気を醸す彼女に話しかけた。浮かない表情で、ぼそりとつぶやく。彼女は市内の介護施設に勤める准看護師で、結婚経験はない。

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「3月31日付で働いていた介護施設を辞めました。入社半年、また1年間もちませんでした。こっちにきて、転職はもう20回以上。そのグループホームは、時給900円。休みはほとんどなくて、一度出勤すると日勤→夜勤→日勤で36時間労働とか。すごくブラックな職場でした。

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それに社会保険も毎月10万円以上、全額引かれていました。さすがにおかしいと思って、年金事務所に問い合わせた。『あなたは社会保険に加入していません』って言われました」

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また介護業界絡みの貧困だった。介護保険法改正以降、都道府県は条件さえそろえば、どんな零細法人にも介護事業の認可を下ろす。結果的に悪質な介護事業所は激増し、そのほとんどは零細企業で、低賃金と違法労働の温床となっている。

「転職が多すぎるとか、人は足りないけどあなたはいらないとか。そんなのばかり。だから、ブラックなところで働くしかなかった。働き続けないと家賃4万5000円が払えなくなって、ホームレスになってしまいます。だから、どんなひどい条件でも働くしかありません」

人見知りな性格らしいが、話しているうちにだんだんと表情の硬さが和らぎ、うつむいていた目線が上がっていった。彼女はさまざまな不遇に不遇が重なって、家族や友人の助けもなく、長年にわたって貧困に陥っている女性のようだ。

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◆給料はいつも12万~14万円程度

3月まで働いていた介護事業所は、給与明細がなかったという。労働条件や給与を口頭で聞いていく。

先月は時給900円で270時間働いた。タイムカードはなく、手書きで労働時間を提出している。自分で簡単に計算すると、額面給与は24万3000円。15日〆で25日に現金だけが入った茶封筒を渡される。封筒にあるお金はいつも12万~14万円程度で、額面から10万近く減っている。経営者からは「社会保険料と税金を引いているから」と説明されていた。

「20回も転職した理由は、ぜんぶイジメ。あることないこと言われて解雇になったり、仕事ができないって怒鳴り散らされたり、生意気だとか。ずっとそんな感じ。普通に平穏に働けた経験は、一度もありません」

「私、小学校でも中学校でも、家庭でもずっとイジメられていて。両親からは毎日殴られたり、蹴られたり。虐待です。2歳年下の弟も中学生になってから、私に暴力を振るうようになって。もう起きている時間は、ひたすら暴力に怯えるみたいな生活でした」

物心ついた頃から両親からの虐待がはじまり、弟は中学生になってから家庭内暴力を起こすようになった。家庭内暴力で、最も被害を受けたのは姉の甲斐さんだった。

◆准看護師になってもイジメられ職場を転々とした

県外の短期大学に進学。卒業の頃、まだバブル期で就職は売り手市場だった。信用金庫や農協など、自分なりに就職活動は頑張った。しかし、どこからも内定をもらうことはなかった。フリーターになって最低賃金のコンビニや飲食店員、非正規事務職などをして細々と働いた。月収15万円を超えたことは一度もなかった。

「地元には友達は誰もいないし、家族からの暴力もあるし、逃げたいっていつも思っていました。それで25歳のときに准看護学校に入ったんです。なんとか資格を取ることができた。それで27歳のとき、東京の病院に受かって上京しました」

過酷な勤務を強いられる病院は、女社会であり、人間関係は荒れがちだ。さらに資格社会なので准看護師というだけで厳しい扱いとなり、子どもの頃のようにイジメられた。人間関係の難しい大きな病院ではなく、小さなクリニック、クリニックではなく介護施設と、イジメられるたびに解雇になったり、自主退社して職場を転々とした。

30歳を超えた頃から、正規では雇用されなくなった。最終的に介護施設の非正規を転々とした。収入は手取り13万~18万円程度で、20年間で余裕のある生活は経験したことがない。イジメられることのない平穏な職場も経験がなく、20年間ずっと低賃金で、嫌がらせや暴言を浴びる毎日だという。

家賃4万5000円に、節約に節約を重ねる最低限の生活でも生活費は月8万円は必要である。32歳のときに仕事が決まらなくて、経済的に破綻した。このままでは餓死をしてしまうと、役所に相談をしたら生活保護が受給できた。本当に助かった、と思った。

「まったく採用されないで収入と貯金がゼロになったことが3度あって、そのたびに生活保護を受けています。資格持っているのにどうして?ってソーシャルワーカーの人に厳しく言われるので、できれば生活保護はもう受けたくない。だから今、必死に仕事を探しています。今日も明日も、介護施設に面接に行きます」

3月まで働いた介護施設は、慢性的な人手不足だった。採用も即決まって翌日から勤務した。一度出勤すると12~36時間帰れない長時間労働だった。36時間労働は本当にツラく、寝不足と疲労で目の前がかすんでくる。家に帰れば、倒れるように眠って起きたらすぐに出勤しなければならない。

◆厳しい日常を繰り返すしか選択肢がない人生

また職探しをして、おそらく不人気なブラックな介護施設に非正規雇用される。厳しい日常を繰り返すしか選択肢がない。49年間、楽しいことや笑ったことがほとんどない人生――ちょっと筆者には想像がつかなかった。会計して彼女は木造アパートがある自宅の方面へ、筆者は新宿行きの急行に乗るために駅へと向かった。

トボトボと歩く甲斐さんの後ろ姿に、苦境から抜け出せる日はくるのだろうか、と哀愁を感じた。
https://bit.ly/2W9XOqK

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