転落・・・元エリート
自分の実力を勘違いして、大手企業を辞めた人の話です。
元大手新聞社記者で、現在は地方の小さな新聞社で働く40代の男性は、
フリー記者となった今、実力を勘違いしていたことに気づいたそうです。
大手企業に勤めていると、それだけで「肩書き」となりますが、
その看板がなくなると、途端にどの取引先も相手にしてくれなくなります。
今は年収が激減して後悔の日々。
「全ては後の祭りですね」と語った姿が侘しすぎますね。


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だれもがうらやむような大手企業に勤める人が、さらなるステップを求めて独立したり、フリーランスに転向する例は枚挙にいとまがない。

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もちろん、成功できれば言うことはないが、大手企業で自分の実力を「勘違い」してしまった結果、大きく年収を落としてしまうこともある。



それどころか、やりたかった仕事さえもできなくなってしまうケースも……。

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◆勢いで会社を辞めた結果、年収が大幅ダウンした人たち

 青いストライプのスーツ姿にサテン地の赤ネクタイという「エリートビジネスマンスタイル」で現れたのは、元超大手商社社員。

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現在は主に中国・東南アジアエリアから「雑貨」などの輸入・卸し業を営む末次さん(仮名・30代後半)。

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 ツーブロックのヘアスタイルにべっ甲ぶちのメガネという出で立ちからは「儲かっている」雰囲気がプンプン漂っているが……。

「はっきり言って後悔しかしていません。20代後半で約1100万円あった年収は、今では600万。取引先の接待などの”経費”、わずかにいる従業員との食事にかかる“福利厚生費”に関してはほとんどポケットマネーで支払っているので、感覚的には年収400万を下回っています。品川の高級賃貸タワマンはすでに引き払い、今では五反田のワンルームマンション住まいです」

 その派手な見た目とは裏腹に、か細い声でこう話す末次さん。果たして彼に何があったのか。

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◆大手商社から独立後、“肩書き”の壁に…


 同じく商社勤務だった父親の仕事の都合で、小中学生時代を南米で過ごした後、帰国後は早稲田系列の高校に進学。一橋大学を卒業後、大手商社に就職した。英語と日本語はもちろんのこと、スペイン語も自在に操るトリリンガル。新卒時点で、商社のほかに超大手運輸系企業、超大手保険会社の内定も得ていたというから、誰もがうらやむ「エリート街道」を突き進み、今頃は「勝ち組」人生を謳歌しているはずだった。だが……。

「はっきり言ってナメてましたね。三か国語喋れる帰国子女、となればどこでもちやほやしてくれました。勉強も昔から嫌いではなかったし、就職活動も余裕、外国人とのコミュニケーションに慣れているので、日本人は“ちょろい”と思っていました。就職後も、グイグイ行動する私のことを、みんなが評価してくれた。地位も年収も上がり、勘違いしてしまったんです」

 スペイン語が堪能であったことから、念願の南米エリア担当に抜擢されるといよいよその頭角を現し、コーヒー豆に布織物、フルーツの輸入など大型契約案件を次々と成立させた。南米の支社へ異動する話も持ち上がり、「もっとバリバリ働きたい」と考えていた矢先、会社から通告されたのは、九州地方の小さな支社への転勤という、末次さんが全く望まない命令だった。

「やることはやってきたし、適材適所で私の願望は受け入れられると信じ切っていました。ですが、大企業の理屈には敵いません。九州に赴任はしましたが、やる気が出なくなり、会社ともめて数か月後には退社。もう実力でやるしかない、実力でなら勝負できる、そう踏んで独立したのです」

 貯金の2000万を原資に、さっそく南米エリアの旧知の企業に営業をかけた末次さんだったが、法人設立半年後には資金繰りがショート。事業を手伝ってもらっていた高校時代の同級生には月に10万円支払うことすらままならなくなり、自家用車、株券などを売り払うものの、すでに自転車操業状態に陥っていた。

「かつて取引のあった南米の企業が未払いを連発したのです。今までは“大手商社”の肩書があったから、あっちもしっかり対応してくれていましたが、私個人となるとすっかり手のひらを返したかのようになってしまい……。以前は菓子折りを持って頭を下げてきた日本国内の企業でさえ、私個人とは全く仕事をしてくれない。私自身、仕事ができないとは思っていませんが、そうした日本的な価値観や、ビジネス上の上下関係という理屈にあぐらをかいて仕事をしていた自分、という現実を見せつけられました」

◆必要以上に燃えてしまい、現状が見えなくなっていた…

 かつて大手新聞社記者として活躍したものの、現在は東北地方の小さな新聞社で働く長谷川さん(40代)も「勘違い」をしてしまった一人。

「俺は正義、真実を暴ける人間、なんて思ってましたね」

 大手新聞社在籍時は、関西本社や東京本社で府政都政、警察や司法を担当。部署違いの経済ネタをすっぱ抜いたこともある。そんな長谷川さんのターニングポイントとなったのは「3・11」の東日本大震災だった。

「国や自治体が、様々なことを隠蔽しているのではないか。当時はそんな空気感がありました。東北地方の自治体が不都合な事実を隠蔽しているという読者からの“タレコミ”をもとに取材をして記事を出そうとしたところ、上司から『待った』がかかりました。マスコミが腐っていては、この国はよくならない。真実を書く、伝えるにはフリーでやるしかないと、鼻息荒く会社と大喧嘩して辞めることになったのですが……」

 長谷川さんは退社後、フリー記者となったが、程なくしてかつての同僚から入った連絡に耳を疑った。

「タレコミをしてきた読者が、実は私をハメようとしていたらしいのです。振り返ってみると、正義感が先走り、物事を冷静に見ることができなくなっていたのでしょう」

 こうしていっきに自信を無くした長谷川さん。さらに追い打ちをかけたのが、かつて懇意だった政治家や役人、ジャーナリストまでが誰も相手にしてくれない、という現実。これまではタレコミを含む様々な情報が半ば自動的に長谷川さんにもたらされていたが、こちらからいくら頼み込んでも、情報を流してくれる人がほとんどいなくなってしまったのである。

「みんなが私を信頼して話してくれる、告発してくれているものだと勘違いしていました。それは私が大手紙の記者だったからそうだっただけで……。会社員(記者)時代には軽い気持ちで行っていた出張も、わずか数万円の取材費が気になって行くに行けない。小さなニュースでは誰も注目してくれず、大きなニュースを書こうと取材しようにも、もはや誰も相手にしてくれない。フリー記者がこんなにも大変だったとは打ちひしがれるばかりでした」

◆「大手にいた頃は良かった」と嘆く日々

 フリー記者として3年が経過した頃には借金が300万円を超え、ちょうど中学に上がるタイミングだった子どものこともあり、地元・東北の小さな新聞社に再就職。妻と子どもは「そんなところにはいきたくない」と東京に残り、長谷川さん一人、実家から新聞社に通勤する「単身赴任」生活だ。

「大手紙記者時代の年収は約1000万。家賃補助、家族補助、通勤補助など生活に不安はありませんでした。現在の年収は400万ピッタリくらい。そのうち300万円以上を妻子に仕送りし、『実家にいるのなら』と兄弟に言われて、年老いた父母の介護もしなければならない。あのまま勤めていれば、家族で幸せに暮らせて、父と母を立派な老人ホームに入れてあげられたかもしれない。全ては後の祭りですね」

 正義感や使命感を持つことに越したことはない。しかしそれが必要以上に「燃えて」しまうと、自分の置かれている現状や世の中が見えにくくなってしまい、結果的には自分の首を絞めてしまうことになる。「是々非々」の世の中を生き抜くことがいかに難しいか、二人の生きざまが物語っているかのようだった。
https://bit.ly/2QRUw9H

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