バブル期に入社し、その後に転落した50代のリアルです。
たしかに、転職が美徳かと思える時代がありましたね。
仕事が出来る人たちは、次々と会社を変わっていきました。
その人たちがどうなったかと云うと・・・
あとは、ご想像にお任せします。
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年功序列が崩壊したといわれるが、いまだに年齢階層別平均賃金では50代がピーク。しかし、リストラ、転職失敗、介護など、一度道を踏み外せば、いとも簡単に年収300万円以下へと転落する。
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36歳の時に役員待遇で父親の会社へ。年収1000万円を超え、絶頂期を迎えた。ところが、そこは奈落と隣り合わせだったとか。
「イケイケすぎたのが父の逆鱗に触れたのでしょう。東京の子会社に飛ばされたのですが、そこが赤字まみれ。それでも『自分ならなんとかなる』と、銀座の鉄板焼きやクラブで豪遊していました。しかし、世の中はそんなに甘くない。最終的には不良債権をすべて押しつけられ、’07年に倒産すると同時に私も自己破産しました」
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「今思えば、営業時代にトップだったのは実力ではなく『運』だったんです。そういう時代でした。それを実力と勘違いして、転職して運まで捨ててしまった。地元商社に勤め続けていれば、今はもっと穏やかな暮らしをしていたはず。それは無理でも、せめて貯金をしていれば……。でも、おいしい思いもしてきたので仕方ないです」
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ありがとうございました
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