52歳ひきこもり
子どもが中年になっても「ひきこもり」だったたら・・・
経済的な支援も両親がいるうちは出来るかもしれませんが、
どちらかが逝けば、それは大きな負担となります。
子どもを甘やかす老いた親、それを是と考える子ども。
予備軍がかなりいそうですね。問題解決の光が見えてきません。


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吉田和彦(52)=仮名=は関西の大学に進み、大学卒業後は就職せず、「勉強を続けたいから」と父から毎年300万の仕送りを受け、20代半ばから20年間、働くことなく遊んで暮らした。

 父は大手建設会社に勤務、300万の仕送りを続ける財力があった。父の死後、母の幸子(81)=仮名=だけでは仕送りを続けることができず、8年前に和彦は南関東の実家へ戻ってきた。 

 戻ってきた和彦は働こうとはせず、母に金の無心をするばかり。幸子は遺族年金だけでは要求に応えられないので、家を3000万で売って分譲マンションに移り、無心されれば渡してきたが限界がある。渡せないと言った途端、激昂した和彦が暴力を振るったのをきっかけに、幸子は初めて外部に助けを求めた。

 支援員は母・幸子には、息子から離れるために自分の居宅を用意すること、息子にはアパートを借りさせ、生活保護を取って就労支援の訓練を受け、仕事に就かせるという道筋を提示した。



 しかし、和彦は幸子がマンションから出て行くと、ベランダから大声で叫び、近隣からの苦情で幸子を戻そうとした。支援員が絶対に戻ってはいけないと再三、注意をしても、結局、幸子は戻って行った。

「だって、あの子は、私がいないとダメだから。それに電球を替えたり、いろいろ、やってくれるんですよ」

 母と息子の「密着」も、ひきこもり長期化にしばしば見られることだという。この母の息子への執着が、息子を自立に向かわせず、自分に依存させるように図らずも仕向けていた。

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70万円を4日で使い果たした息子

 私の目の前に、和彦がいた。年齢より老けて見えるのは、歯がほとんどないからだろうか。話すと空気が漏れるため、言葉が聞きとりにくい。不自然なほどの間があり、話しぶりは幼い。知っていることや体験していることが非常に狭く、その分野だけを力説し、ちょっとでも異を挟むと瞬間、キレて激昂する。一つのことにこだわる傾向があり、話がなかなか先に進まない。支援員は懇々と話していく。

「キミはこの2年、ずっと家を出てアパートを借りて働くと言ってきたが、何も変わらないよね?」

 和彦も金の無心が難しくなったことを悟り、提案した。

「お母さん、俺、関西に戻るよ。そこで再出発するよ」

「本当に? じゃあ、これが最後よ。絶対に最後よ」

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 幸子は支援員に内緒で70万円を工面して、敷金・礼金に充てるようにと和彦に渡した。しかし和彦はその金を4日で使い果たし、幸子の元へ帰ってきた。全てが嘘だった。ここでようやく、幸子は決意する。

 支援員が作戦を立て、幸子と和彦がデパートで食事をしている時に幸子をトイレに立たせ、そのまま、あらかじめ借りていたアパートに幸子を逃した。行き先は絶対に告げてはいけないと固く約束をさせてのことだ。ひきこもっていた和彦も、母の決断でいよいよ動き出さざるを得なくなった。

 前出のNPO法人代表の明石氏は、支援の現場で、何度もこのようなケースに出会ってきたという。

「どのお母さんも、息子をダメにした責任は自分にあると言う。甘やかしてきたと。そう言いながら、50になった息子を甘やかし続けるわけです。それ以外の関係が作れないから。お金をあげれば喜ぶから、それでいいとずっとあげ続けてきた。ダメなものはダメと教えない。それは面倒なことだから。親が子どもをコントロールできないばかりか、親自身が自分をコントロールできない。なまじ資産があり、そうできちゃうから」


家族文化の内実

 いかがだろうか。

 本稿で紹介した以外にも、多数の「中高年ひきこもり」を見てきたが、共通するのは、歪な親子関係だ。「優しすぎる親」「強すぎる親」「子に無関心な親」――。

 冒頭の例もそうだ。

 長男は小学生の頃から対人関係が苦手で話しかけられてもうつむくだけ。弟は活発だったが、母に家から締め出されてよく泣いていた。家からは母のヒステリックな怒鳴り声がよく聞こえていたという。

 次男が高校生になった頃、家庭内暴力が始まった。物がぶつかる音、激しい怒鳴り声が飛び交うのが日常になり、父が没した後、次男の暴力に耐えかねた母は息子を捨てて家を出た。同級生の母が心配して声をかけていたが、次第に大人を拒むようになり、兄弟それぞれの形で、社会から降りた。

 発達障害だと思われる長男は生きやすい道を考慮されることなく、強い母に萎縮したまま、一度も自分の人生を生きたことはない。最近、行政が訪問した際、兄は「困っていることはない」と、玄関脇の小窓から顔を半分出して答えたという。次男が近隣住民を威嚇するのは自己防衛であると同時に、自分を捨てた母への怒りもあるのだろうか。

 家や子どものことは妻に任せて関わらない父と、独善的な価値観を力で押し付けてきた母により、元来、適応能力に乏しいと思われる兄弟は、社会で生きる力を与えられないまま放置された。今や自治会から「ゴミ屋敷という脅威」として市に対応を迫られる存在となっている。

 前出の明石氏は言う。

「80代の親の多くが、子どもに良かれと道を作り、いい学校へ行けば経済的に上に行けるという、単一の価値観を押し付けてきた。子どもに選択させることなく、多様な生き方を認めない。だから挫折した時に自分の前から人生が消え、ひきこもるしかない。しかも親が困らない限り、助けを求めないゆえに長期化する」

 であれば、そうした「子育て」は今でも多くの人が我が身に思い当たるはず。いつ誰もが子どもの「ひきこもり」に苦しんでもおかしくない。

 果たしてこれは、その世代特有の問題なのか。同じ過ちの道を下の世代である私たちもまた、歩んできているのではないか。親としてのありよう、家族文化の内実を、「中高年ひきこもり」問題は鋭く問いかけている。
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