実母に捨てられた
全ての母親が、愛情豊かに子育てをするわけではありません。
幼い頃に実母に捨てられた男性・・・
20年後、身勝手な母親は男性の前に現れます。
男性は25年間、引きこもりの生活を続けていましたが、
ある日、母子の葛藤は悲しい結末を迎えてしまいます。


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「1人でいられる『隅っこ』がほしい」。同居する母親の首に背後からヒモをかけ絞め殺した男は、こう書き残して群馬県高崎市棟高町の自宅に火を放った。11月22日、前橋地裁の鈴木秀行裁判長は、殺人と非現住建造物等放火の罪に問われた無職、湯本直木被告(41)に懲役11年を言い渡した(求刑20年)。犯行は「冷酷で悪質」と指弾されたが、裁判長は「我慢の連続で辛かっただろう」とも口にした。公判で明らかになったのは、育児放棄して出奔し、約20年後に舞い戻った身勝手な母親と息子との、やり切れない葛藤の記録だった。

母出奔「お前は、この家の子ではない」

 「記憶にない人」。湯本被告は母親のことを、そう語った。

 生まれて、ほどなく母親は被告と3歳上の兄、そして夫の3人を残し、出奔(しゅっぽん)した。その後、離婚が成立、父親は5歳になった湯本被告を、祖父母らが暮らす母親の実家(高崎市)に押しつけるようにして置いて、去った。「警察を呼べ」。祖父が叫ぶほど、有無を言わせぬ対応だったという。

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 「お前は、この家の子ではない」。幼い頃、祖母にそう言われたこともある。20歳で家出した母親が勝手に夫と結婚し、被告らを産んでいたせいもあるだろう。小学生になって、祖父母と名字が異なることをからかわれ、引け目も感じた。

 「なぜ育ててくれないのか」。父も母もいない境遇に、物心ついた頃、浮かんだ言葉を湯本被告は、法廷でも吐きだしている。

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 こんな幼少期を経て内気な少年になった被告に、祖母も「高校くらいは行け」と地元の農業高校進学を進めた。だが、なじめず半年で退学。在学中に経験したアルバイトも「人と接することができない」と1日でやめている。社会に順応できず以後、犯行までの25年間、働かず、外出は買い物程度で家に引きこもる生活が続いた。

 
母、帰る「絶望感を感じた」

 平成11年、出奔した母親が突然、実家に戻った。22歳になっていた湯本被告には衝撃だった。すでに祖父は亡くなり、祖母と2人暮らし。母を名乗る中年女性は、ただの「記憶にない人」で、「突然、現れ、ショックで絶望感のようなものを感じた」。

 しかも「身勝手で、自分のことしかやらない」(湯本被告)母親は、アルバイトのチラシを配らず家に持ち込み散乱させるなど「好き放題に汚した」(同)。きれい好きな被告は反発したが、母親と衝突したのは祖母だった。もともと「反抗的で社会性がない」(親族)母親は、実家に戻ってからも祖母と、しばしばぶつかり、15年には、祖母をいたぶる母親の顔を被告が殴打し続け、傷害容疑で逮捕されている(執行猶予付き判決)。「(直木は)私をかばったんだ」。後に祖母は親族に語り、被告を擁護したが、事件後、被告は母親と一切、口をきかなくなった。

決定的だったのは25年3月、祖母が介護施設に入り、母との2人暮らしが始まったことだった。土地を貸すなどして得ていた月15万円ほどの収入は母親が握り、祖母から受け取っていた月1万円ほどの小遣いもなくなり、母親は1円も被告に渡さなかった。被告側弁護士によると、湯本被告は貯めた小遣いと叔母から受け取った5万円で犯行までの約3年半、細々と食いつないだという。

 
きっかけはずさんな料理と笑い声

 家事の担い手がいなくなり、放置された食べ物にカビがはえ、信じられないことに母親は浴室に排泄したこともあったという。後始末で腹をたてても、口を開くことはない。黙って処理するうちに、被告の中の負の感情が膨らんでいったとみられる。

 それが、一気に爆発したのは昨年11月18日の午後、きっかけは母親のずさんな料理だった。母親は、よくガスコンロの上に薄い餅網を置き、その上で魚を焼いた。魚の脂で網もコンロも脂やススだらけになるが、後片付けもしない。片付けは被告の役だったが、この日は16日から3日連続の魚料理で、いずれの日もサンマだった。

 午後1時ごろ、もうもうと煙が上がる中、「焼いている最中に(母親の)笑い声が聞こえた。絶対的な怒りを感じた」。自室にあったジャージーのひもを手に背後から近づき、首にかけた。

 「ごめんなさい」「新しいのを買うから」。母親の断末魔の声を被告は覚えている。しかし、手は緩めなかった。気がつくと、母親は台所の床に倒れ、息絶えていた。

 冒頭陳述などで、詳しい犯行状況の説明を聞いた湯本被告は、起訴事実を認めた上で、語った。

 「罪悪感はあった。ただ、安らいだ気持ちも同時にあった」

 
原因は母性の欠如と人間関係の一貫性の欠如

 犯行から3日間、遺体はそのままにして、過ごした。母親の携帯の着信音が何度か鳴った。「死んで償おう」。手首に刃物を当てたが、痛くてためらい、首を吊ろうとしたが、苦しくてやめた。

 「1人でいられるような『隅っこ』がほしい」という遺言は、このとき、書いた。そして、ストーブの灯油をまき、火をつける。

 5歳から育った祖母の家は、ほぼ全焼したが、途中で熱さに耐えきれず、2階のベランダから飛び降りた。

 「母を殺しました」。救急搬送される車内で、そう告げた。

湯本被告は公判前、精神鑑定を受け、他者とのコミュニケーションに支障をきたす自閉症スペクトラム障害と診断された。精神科医は「(幼少期に母の愛情を受けられなかった)母性の欠如と人間関係の一貫性の欠如が見られる」とし、「40年も(精神的に)引きこもっていたわけだから、自閉症の症状は軽くない」と指摘した。判決理由で鈴木裁判長は「被告人はひたすら我慢し続け、怒りや恨みをため込んでいたことなどが犯行の原因」「犯行に至る経緯に障害が相当程度影響を及ぼした」と弁護側の訴えを認めた。


 すべてを言い渡した後、裁判長は静かに語りかけた。

 「これまでの人生、我慢の連続で辛かっただろう。それでも、亡くなった母の人生も振り返ってほしい」。ジャージー姿に坊主頭の湯本被告は、黙ったまま、深く一礼を返した。
https://goo.gl/PUKof6

『隅っこ』がほしい・・・そう願った言葉が、切なすぎます。