池袋母子餓死
今から約20年前、東京都池袋のアパートの一室で、
77歳の母親と41歳の息子が餓死した事件がありました。
二人の生活費は母親の年金、85650円だけ。アパートの家賃が85000円。
残金650円で毎月を暮らしていたことになります。
どんなに辛かったでしょう、どんなに苦しかったでしょう。
老いた母の覚え書きに・・・涙が止まりません。


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1996年4月27日、東京都豊島区池袋のアパートの一室で、77歳の母親と41歳の息子が餓死した状態で発見された。のちに「池袋母子餓死事件」と称されたこの事件。今から約20年前のできごとであるが、貧困がいまだ問題視される現在においても、頭の片隅に留めておかねばならないように思える。

 当時、この事件が話題を集めたのは母親の日記が公開されたからだった。母子が命を落とした1996年の6月14日、豊島区は「餓死した背景を明らかにする社会的意義がある」として母親の手記を公開した。

 母親が綴った1993年12月24日から、遺体として発見される直前の1996年3月11日までの記録は『池袋母子餓死日記 覚え書き(全文)』(公人の友社)として出版されている。周囲にモノが溢れている現代、なぜ母子は餓死しなければいけなかったのか。その一部を改めて振り返ってみる。

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◎拠り所もなく都会で“孤立”していた老母と息子

 正確には、大学ノートに「覚え書き」と書かれた母親の日記。飛び飛びになっている日もあるが、その中には日ごとの天気や気温、さらには何をいくら支払ったのかという、母親からの視点を中心にした生活の様子が克明に記録されている。

 そして、この事件でまず気になるのは母親と息子の境遇であるが、それについては1993年12月31日に記載された内容から推察できる。

心配なのは、来年、私しと、子供は、どうなるのでせうか。後少しのお金で、一年持つか、持たないかの不安と、同時に、其の後は、どんな生活に成るのでせうか、家賃を無事におさめきるか、そして又、三月には、再契約仕無ければ、おられないけれども、その契約金どころか、毎日、毎月の生活費を、はら、はら、した毎日で、来年は、何んとか、決心しなければならないが、相談する人もないし、役所などに相談した所で、最後は、自分で、決めねばならない。

 この内容が書かれたのは、2人が遺体として発見される約2年半前のことである。この時点ですでに生活が困窮していたのは、とにかく生活費がままならないことを記録する母親の言葉から伝わってくる。同時に、気がかりなのは「相談する人もない」という部分だ。別の日の記録には「主人の命日」という記載もあるため、旦那さんがすでに亡くなっていることが分かる。身寄りもなくあてにできる他人もいない。そんな環境のもとで、2人はおそらく都会にいながらにして“孤立”していたのだろう。

ただ、ここでもう一つ疑問に浮かんでくるのは、息子は何をしていたのかということだ。それをひもとく手がかりが、先ほどと同じ日の日記に書かれている。

子どもが、病人である丈に、非常に、心配で、たまら無い。私しが、働けるとよいれど、今の所、全身が悪いので、どうする事も出来ない、ただ、だまって、裸に成る生活をするのだろうか。

 別の日には「子どもはパンスかえた」という記載もあり、おそらく“パンツを変えた”という意味だと思われるが、いずれにせよ、子どもが病床に伏していたのはもちろん、身の回りの世話すらも老いた母親が担わねばならず、生活が限りなくひっ迫した状況にあったのは想像にたやすい。


◎2人の生活費は母親に支払われる年金の“8万5650円”のみ

 家賃や水道代など、細かな金額まで日記に残していた母親。その内容からは2人の生活が、母親に2ヶ月に1度支給されるわずか8万5650円の年金に頼るしかなくなっていたことが分かる。暮らしていたアパートの月々の家賃が8万5000円だったのも明らかにされており、これらの金額を差し引きするだけでも、すでに生活が成り立たなくなっていたのは疑いようもない。

 分相応な場所へ引っ越せばよいのではないかと思うところでもあるが、老いた母親と病気を抱えた息子という2人の関係を考えるとやはり、むやみにはそれを主張できない感情も生まれてくる。

 そして、日記の内容をたどるとしばらくは銀行でお金をおろしたり、買い物のために出かけられたりするほどの元気な様子もあった母親であったが、最後に記録された1996年3月11日には以下のような内容が書かれている。

とうとう、今朝までで、私共は、食事が終わった。明日からは、何一つ、口にする物がない、少し丈、お茶の残りがあるが、ただ、お茶丈を毎日、のみつづけられるだろうか。

 この内容に続き、日記には「頭痛、熱で、苦しいのを、ガマンしている」という記載もある。すでに別の日に「腰痛」を抱えていることなどを記録していた母親であったが、このときはもはやペンを取ることすらままならないほどの状況になっていたのだろう。

 この事件について、何をどう思うかが人それぞれであるのは事実。ただ、貧困や孤独死が問題視される現在、多くの人が知っておくべきできごとであるようにも思える。この記事ではごく一部をかいつまむのみであったが、ぜひ全文に目を通してもらえればと願う。
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