55歳
バブル全盛期、フリーライターだった男性が、
メンタルの病気を患い借金をし、その後に自己破産。
今は奥さんと一緒に生活保護で糧を得ています。
色々と少しづつ考え方がズレていますが・・・そこがまた悲しい。


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約束の時間を30分ほど過ぎた頃、マサヤさん(仮名、55歳)が現れた。席に着くなり手渡されたのは、ずっしりと重い黒の手提げかばん。かばんの中には、かつてフリーライターとして活躍した頃に手掛けた署名記事が載った雑誌や、自身の略歴などをまとめた分厚い資料が詰め込まれていた。

 「これがあれば私のことがわかってもらえると思って」。屈託のない笑顔でそう言った。

バブル景気真っただ中、週刊誌契約記者として働く

 秋田県出身。幼い頃から読書好きで物書きになりたかった。両親と折り合いが悪く、高校卒業後は東京の私大の夜間部に進み、昼間は働いて学費と生活費を稼いだ。しかし、無理がたたったのか一時的にうつ状態に。回復した後、「物書きになるのに、大学卒業の資格はいらない」と思いたち、授業料を払うのをやめたという。

 その後、編集関係の専門学校を卒業。月刊誌や業界紙の編集に携わったり、フリージャーナリストのデータマンをするなどして経験を積んだ。20代後半のとき、知人の紹介で若者向け総合週刊誌の契約記者に。バブル景気真っただ中のことだった。

 この頃の仕事で印象に残っているのは、泉谷しげると忌野清志郎へのインタビューだという。取材中、マサヤさんは突然「人のためによかれと思い~」と泉谷の「春夏秋冬」を歌い出したかと思うと、インタビュー後に清志郎と握手を交わしたことを興奮ぎみに振り返った。2人のインタビュー記事は今も額縁に入れて部屋の壁に飾ってあるという。

 生活は編集現場にありがちな昼夜逆転で、多忙を極めたが、年収は約650万円。トイレ風呂なしのアパートからワンルームマンションへと引っ越しし、後に籍を入れることになる女性と同棲を始めた。

 一方、メンタル面は依然として不安定で、長期間にわたって出勤できなくなることもあった。そんなとき、新たに受診した病院で双極性障害と診断される。「心身ともに疲れていても自覚できず、さらに頑張ってしまうことがありました。今思うと、あれが躁状態だったのかと、ようやく腑に落ちました」とマサヤさんは言う。

 30代半ばを過ぎたある日、面倒を見てくれた上司から呼び出され「お前、いつまでやるの?」と切り出された。バブル景気はとっくに崩壊していた。リストラ勧告にも見えるが、マサヤさんの受け止め方は違う。

 「もともとフリーになるつもりでしたから。この週刊誌の読者層は20代から30代半ばの男性で、自分がその年齢を超える前に辞めようと思っていました。たびたび休んで会社には迷惑もかけていましたし、自分から“辞めます”と言うつもりだったんです。上司は“早くフリーになって頑張れ”という意味で背中を押してくれたんだと思います」

 独立後は雑誌などに記事を書く傍ら、コールセンターやコンビニでも働いたが、体調も思わしくなく、消費者金融やカードローンによる借金は膨らむ一方。小説の新人賞などにも何度か応募したが、いずれも結果は出なかった。借金が900万円近くまで達したときに自己破産。妻もうつ病で、夫婦ともにフルタイムの就労は難しく、10年ほど前から生活保護を受けるようになり、現在は家賃込みで毎月約19万円を支給されている。

ケースワーカーからのプレッシャー

 業界での浮き沈みや借金生活について語るマサヤさんに悲壮感はない。それよりも、自身の小説に対して有名作家らが寄せてくれたアドバイスや、最近の若手編集者は質が落ちているといった不満についてユーモアを交えながら精力的に話し続けた。そして、その勢いのまま生活保護制度やケースワーカーの批判を始めた。

 マサヤさんによると、ここ1年ほど、担当のケースワーカーから「半年以内に仕事を決めて自立してください」「働かないと保護を打ち切ります」とプレッシャーをかけられるようになった。このためハローワークに通ったが、双極性障害のほかに過活動膀胱で頻繁にトイレに行かなければならない自分にできる仕事はなかなか見つからない。

 1度、妻が小さな会社に就職したが、飛び込み営業を強いられた揚げ句、時給を最低賃金以下に引き下げられた。すぐに辞めたものの、このときは、行政から支給される就職支度金では足りず、わずかな蓄えからスーツや靴、コート代などを捻出したのに、すべて無駄になったという。彼がケースワーカーへの不満をまくしたてる。

 「医師からはフルタイムの就労は難しいと言われていると説明しても、(ケースワーカーは)働け、働けと脅すばかり。1度、街中ですれ違ったときに“お元気ですね”と声をかけられました。薬のおかげで何とか元気に見えているだけなのに……。それだけじゃない。精神保健福祉士と定期的に面談するよう言われたほか、服用している薬の名前を全部メモされたこともあります。収入があったときにその分を保護費から差し引かれる仕組みも納得できない。まるで搾取だと感じました」

 面談を担当する精神保健福祉士の言動にも問題があるという。担当者は威圧的な態度でたびたび夫婦の話を遮るだけでなく、あるとき「ご主人と奥さん、どっちが先にうつになるんですか? うつってうつるんですよねー」と軽口をたたいてきたという。

 マサヤさんの話が事実なら、このケースワーカーは双極性障害やうつ病への理解が足りない。取材には彼の妻も同席した。夫婦ともに社交的で、なんの支障もなく見えたが、これは現在、彼らの精神状態が比較的に良好だからにすぎない。いったんうつに転じると、朝起きることはできなくなるし、2週間近く風呂に入らないことはざらだ。彼は風呂場でリストカットした妻を介抱したこともある。「うつはうつる」などの発言にいたっては、専門家の資質を疑う。

保護を打ち切られたらと思うと…

 ただ、精神保健福祉士との面談を求めることや服用薬のチェック自体は、ケースワーカーとして当然の業務でもある。また、収入に応じて保護費を減額するのは、生活保護が「生活するために足りない費用を支給する」制度である以上やむをえない。勤労意欲をそぐとの批判も確かにあるが、基礎控除を設けるなど一定の工夫もなされていることを考えると、「搾取」とまでは言えないのではないか。

 これに対し、マサヤさんは「面談も、服用薬のメモも理由を説明してくれないのが問題なんです。それに、働いてもいくらも手元に残らないと思うと頑張る気になれない」と反論する。さらに、私が理由なら尋ねればよいのではと言うと、夫婦は口をそろえて「保護を打ち切られたらと思うと、怖くて質問なんかできません」と主張するのだった。

 一方で、マサヤさんは生活保護を利用していることを「うしろめたい」とも言う。夕方、節約ために近所のスーパーで値引きされた総菜を買うたび、福祉事務所の窓口で見掛けた生活保護受給者たちと出くわすことが「恥ずかしい」と言うのだ。

 ふと、この連載を通し、うつ病や双極性障害などを抱えた多くの男性に会ってきたことを思い出した。そこからうかがえるのは、問題が生じた途端、一気に貧困へと陥る、現代社会のセーフティネットの危うさだ。

 私が新聞社に就職した1990年代前半などは、精神面に不調を来した社員は負担の少ない部署に異動になり、回復すれば再び元の職場に戻っていったし、ほかの企業にも同じような受け皿的な部署があると聞いた。正社員が主流だった当時は手厚い福利厚生のおかげで、企業や家庭にそうした人たちを内部に抱え込む余裕があったのだ。

 ところが、雇用が不安定化するにつれ、「メンタルヘルスの不調=失業、貧困」という光景が当たり前になった。働き方の多様化という「理想」を求めるなら、メンタルヘルスに問題を抱えた人たちはある程度、国や社会が面倒を見る覚悟を持つべきなのに、現実には彼らの多くは置き去りにされたままである。

もう1度、小説の文学賞に挑戦する

 マサヤさん夫婦にはファミレスで話を聞いた。彼はひたすら話し続けた。抗うつ剤の副作用でのどが渇くため、途中、何度もせき込むのだが、構うことなく自身の話を続け、取材時間は8時間近くに及んだ。途中で食事を挟んだとはいえ、周囲からは少し浮いていたかもしれない。

 「政治からエロまで」などと言われた週刊誌が最も元気だった時代の話は興味深かった。しかし、マサヤさんが前のめりになればなるほど、私はこの後に高い確率で訪れる「うつ転」が気掛かりだった。彼は近くもう1度、小説の文学賞に挑戦するのだという。「昔のような情熱はなくなりました。まあ、色あせた燃えかすのようなものです」。

 マサヤさんは、持参した雑誌を持って帰ってくれて構わないと言った。『現代』『創』『宝島30』――。1990年代から2000年代はじめにかけて発行された雑誌は、日焼けと手垢で茶色く変色し、彼の署名記事が載ったページに貼られた黄色の付箋だけが新しかった。

 10年以上前の「成果物」でもって自分を語る――。同業者の私にとって無縁の話ではない。出版不況の下、力量もあるユニークなライターが消えていくのはありふれた光景で、そう思うと、私は雑誌を手にするのが怖かった。だから、雑誌はコピーをしてその場で返した。

 取材を終えて数日後、マサヤさんから速達が届いた。中身は、泉谷しげると忌野清志郎のインタビューのカラーコピー。私を置き去りにしないでほしい――。そんな叫びが聞こえた気がした。
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